葦原の夏の使者 オオヨシキリ2023/05/20 20:06

いつもの公園の葦原で、今年初めてオオヨシキリの声を聴いた。梅雨がそこまで来ているような気になる。

後ろ姿も上げておこう。


(付け足しの話-鳥の誘因)
上と同じ公園のキビタキがよく囀っている森に行くと、3羽位のキビタキの声が聞こえた。近づいてみると、2羽は本物、1羽は音声誘因のための再生音だった。昨日サンコウチョウの声が聴かれたが姿は見られなかったという情報があり、キビタキの鳴きまねではないかとの話もあったが、実は音声誘因だったという話を聞いた。本当のところはわからないが、それほど音声誘因が珍しくないということだろう。

日本野鳥の会策定の野鳥観察・撮影のガイドラインには、「音声による誘引はしない」と書かれている。
他方、生態調査や標識調査等では、音声誘因が一つの手段として行われている。アホウドリ復活のための繁殖地形成にもデコイとともに音声誘因装置が使われた。
(もちろん、例えば「鳥類標識マニュアル」に「繁殖期に長時間同じ場所で使用することは対象種の繁殖に悪影響を与える可能性があるので注意が必要である。」とあるように、研究・調査のためであっても、一定の配慮はなされている。)

してはいけない誘因と許される誘因の違いはなんだろう。鳥に与えるストレスや抱卵の放棄等の可能性と、人が得られることとのバランスの問題なのだろうか。先のマニュアルを反対解釈すると、長時間同じ場所でなければいいのだろうか。誘因を擁護するつもりは全くないが、誤解を恐れずに極端なことをいうと、魚釣りでは疑似餌を使うのもコマセを撒くのも普通である。針で釣り上げた魚を川に戻すのを保護と呼んでいる。

高野伸二氏の「野鳥を友に」のあとがきを書かれた塚本洋三氏は、高野氏がアオアシシギの鳴き声に応えて「オレの方が本物よりうまいだろう」といわんばかりにアオアシシギの鳴きまねをされ、それが真に迫っているのは「アオアシの声を真似るのではなく、アオアシの心を口笛にのせているからである」と書かれている。病床にあって、すでに意識のなかった高野氏の耳元で、塚本氏はアオアシの鳴きまねをされたそうだ。高野氏が如何に鳥を愛し、保護に努められたかは、誰もが知っていて、高野氏の口笛を非難する人はいないだろう。

私はさほど善人ではないから、問題の本質がマナーにあるのかよくわからないが、ガイドラインが問題にしている誘因は、自分がいい写真を撮りたいという欲望のためであるのに対し、調査・研究における誘因は保護のためであって、高野氏の口笛も氏がただ鳥を愛するが故だったのだろうと思う。どちらも誘因ではあっても、似て非なるものがあると思う。

個人的には、誘因の音は本当の声がどこから聞こえるのかわかりにくくするし、それで呼び寄せた鳥を撮るなら、動物園の鳥舎の鳥でもいいじゃないか、と思ってしまう。人の誘因を止めるほどの信念も勇気もないが、かといってそれで寄ってきたのかたまたま来たのかわからない鳥を撮るのもなぁ、と考えてしまい、撮らなくてもストレス、撮れたとしてもストレスになるんだろうなぁ。

蛇足になるが、ガイドラインには、音声誘因だけでなく、「餌付けによる誘引はしない」とも書かれている。一方、野鳥の会は巣箱を販売しており、ウェブサイトには「餌台は清潔に保ち、定期的に消毒をしましょう。」と書かれていて、庭に餌台を置くことは問題ないようである。自分の家の庭に鳥を呼ぶのは奨励されるのに、野外で呼び寄せるのはなぜいけないのか、理解が必要だと思う。ガイドラインには、餌づけにより改変された自然は、不快感を生むことになるとか、公共の場所等での餌づけはゴミの不法投棄を禁じた条例等に違反する可能性があると書かれていて、ごもっともではあるが、説得力のある説明にはなっていないように思われる。

また、ガイドラインには、音声誘因だけでなく「バードコールの使用も同様です」と記載されているが、ある公益財団法人のウェブサイトに、公園主催でバードコール作りが開催されたことが紹介され、「片手に双眼鏡、もう片方にバードコールを持って野鳥観察・・・」と書かれていたり、サンクチュアリ代表が講師を務める野鳥観察とバードコール作りのワークショップが開催されている。それらのバードコールはどのように使われるのか。
善意の(適正な)使用ならいいけれど、行き過ぎた使用(特に血走ったカメラマン)は慎むべし、ということなのかもしれないが、その差を理解してもらうのはなかなか難しいように思われる。
くどいようだけど、私は誘因を擁護するものではありません。
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